東京高等裁判所 昭和44年(ネ)954号 判決 1969年12月15日
控訴人
松本文代
外一名
代理人
川本赴夫
被控訴人
松本善五郎
代理人
前田寛
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
<証拠>を総合すると、被控訴人が亡松本ようの実弟で同人を相続すべき地位にあること、控訴人文代が右ようの内縁の夫訴外長谷川文五郎の孫で、控訴人正次は文代の夫であること、昭和四三年三月一八日午後にようと控訴人両名との養子縁組届が館山市長に提出され、即日受理されたことおよび松本ようは昭和四三年三月一八日午前零時前後頃便所に行くため廊下に出かゝつたとき自室の入口附近で脳溢血で倒れ、同日午前一時頃医師の往診を受けたが、そのときは既に意識消失昏睡状態等の重態であつて、その後も右のような状態を続け翌一九日午前九時二〇分死亡したこと、本件の養子縁組届は長谷川文五郎の長男源吾の妻である長谷川寿代が同月一八日午後四時少し前頃館山市役所に戸籍係を訪れ戸籍係鈴木俊吾に代書を依頼し、持参したようらの印鑑を用いて縁組届を作成して戸籍係に提出し受理されたものであることがそれぞれ認められ他に右認定を左右し得る証拠はない。
被控訴人は松本ようと控訴人らとの間には養子縁組についての話合いないしようが縁組届出の意思を表示したことがない。したがつて本件養子縁組は縁組の意思および届出の意思を欠く無効のものであると主張する。
しかしながら、証拠を総合すると次の各事実を認めることができる。
松本ようは大正一〇年頃千葉県下で茶屋の女中奉公をしていたが長谷川文五郎にいわゆる身請をされて同人と内縁の夫婦となり館山市内で同棲するようになつた(文五郎は養子であつた関係上、養親の反対でようを入籍することは許されなかつた)。文五郎は終戦時までは牛馬商をしていて出稼ぎをしていたが、その後館山市内に落付き、よう所有名義の土地建物でようと共に料理店、旅館等を経営し、ようの死亡当時はアパートを経営するなどして約五〇年来右両名は事実上の夫婦として生活を共にしてきた。
ようは昭和三一年九月七日被控訴人の四女金木シゲ子と養子縁組をし、その届出をしたが、事情があつて昭和三四年六月二六日協議離縁し、さらに昭和三七年一二月一九日再養子縁組をしてその届出をしたところ昭和三九年一月二〇日同女が結婚することになつたため再び協議離縁をした。その後佐野一江や控訴人文代の妹陽子を養子にしようとしたがいずれも実現するに至らなかつたところから、考後その他将来のことを憲り文五郎と相談のうえ同人の孫である控訴人文代夫婦を養子にしようと考え昭和四二年一一月頃石井とくや寺尾しまを介して控訴人文代の両親や控訴人らに対しその交渉をした。始め控訴人らは右ようの甲出を断てていたが、再三に亘る申出により結局同年一二月中頃控訴人らはようの養子となることを承諾した。そこで、ようはさつそく建物を増築して控訴人夫婦を住まわせる用意をし、早急に養子縁組の届出をすることにして文代の母である長谷川寿代に印鑑を預けてその届出をすることを依託した。しかし、その頃控訴人文代は姙娠中で翌年三月一八日頃が出産予定(三月五日出産)であつたので、出産してから届出をするつもりでいたところ、ようが同年三月一五日までに所得税の申告をするため、判が必要であるというので、同月一日頃ようから預つていた印鑑を一たん返還することなどの事情があつてその届出が遅れていた。そうしている内に前示のように昭和四三年三月一八日未明ようは脳溢血で倒れ、介抱していた文五郎に対し控訴人らの入籍のことを口走るなどしたので、同日午後四時少し前頃前記のようにかねてようの依頼を受けていた長谷川寿代がさらにようの印鑑を預つて館山市役所に至り戸籍係に依頼して本件養子縁組届を作成して届出をなしそれが受理された。
以上の事実が認められ<証拠>中右認定に反する部分は信用し難く他にこの認定を左右し得る証拠はない。
右認定の事実によると松本ようと控訴人両名との間には昭和四二年一二月中既に養子縁組の合意が成立していたものと認むべきである。
被控訴人は、松本ようは上記養子縁組の届出がなされた昭和四三年三月一八日には意識を消失し、意思能力を有しなかつたのであるから右届出は無効であると主張する。
しかし、養子縁組の届出は他人にその届出人の氏名を代書させ若くは押印を代行させることによつてすることも許される(戸籍法施行規則第六二条)ところであり、松本ようが控訴人らと養子縁組をする意思を有し且つその届出を長谷川寿代に依託していたものであることは前記認定のとおりであるから、本件届出が受理された昭和四三年三月一八日当時ようが意識消失の状態に在つたとしても届出の受理前に死亡した場合と異りその届出の受理前にようが控訴人らと養子縁組をすることを翻意するなど特段の事情の認められない本件においては前記認定の養子縁組届の受理によつてようと控訴人らの養子縁組は有効に成立したものと解するを相当とする。
以上のとおりであるから、昭和四三年三月一八日館山市長宛届出られた松本ようと控訴人両名との養子縁組の無効確認を求める被控訴人の請求は失当として排斥を免れない。
よつて、右と異る見解のもとに被控訴人の本訴請求を認容した原判決は不当であり本件控訴は理由があるから民事訴訟法第三八六条第九六条第八九条を適用して主文のとおり判決する。(石田哲一 杉山孝 矢ケ崎武勝)